Sunday, November 25, 2012

90's Massachusetts hardcore scene - 1





Brian Fair、Mike D'Antonioらによって1991年に結成されたOVERCASTは、evil metal hardcoreという新たなジャンルを創始したバンドの一つに挙げられる。1992年に出した7ep"bleed into one"で既にBrian Fairの確立された唱方は、ONLY LIVING WITNESSやSTARKWEATER等の存在を考慮すると、既存スタイルであったことは否めないが後世に残した功績、存在感ともに大きかったことは事実だろう。後々Brian Fairは、SPLIT LIPやENDPOINTのearly 90's melodic hardcoreの影響を公言しているのも興味深い。

Inner Rage Recordsの7ep"stirring the killer"を挟み、1994年に1st"expectational dilution"がEndless Fight Recordsからリリースされた。このオリジナル盤は、流通が良かったレーベルの割にはプレス数が少なかったのか全然出回らず、Edison Recordsが"bleed into one"をカップリングし再発している。そして2nd"fight ambition to kill"の後1998年に解散となった。

OVERCAST解散後は、Brian FairがSHADOWS FALLに3代目ボーカリストとして加入したほか、Pete CorteseとMike D 'AntonioはKILLSWITCH ENGAGEの結成へと至っている。その後は後続のMassachusetts metalcoreバンドの飛躍により必然的に彼らの需要が生まれ、2006年に再び始動する。2008年にはMetal Blade Recordsより"reborn to kill again"をリリースするも再び解散。


初期OVERCASTとbrotherhood的な間柄だったARISEは、Infidel Recordsの単独やEndless Fight Recordsのコンピ参加と地道ながら活動。一番古い音源は、1993年のNEVERTHELESSとのスプリットかと思われる。


OVERCAST - "diluting inertia/grifter"



 


1992年にTobiasとAdamのDutkiewicz兄弟が中心となって結成されたAFTeRSHOCKは、極めて重要な位置づけになる。結成当初からdeath metal寄りのサウンドを提示していた彼らは、今やold school metalcoreといわれる礎を築いた。

供給側としても、ボーカルのTobiasが立ち上げたxxx 666 Straight Edge xxxは、Devils Head Recordsへと引き継がれ、主に地元のバンドをリリースし、もはやシーンに無くてはならないレーベルになっている。
その第一弾は、自身の"two songs"のカセット盤。これは666 Straight Edgeから出していた7epの曲に2曲を加えたものになる。

そして1997年、Life Sentence Recordsの1st"letters"が好セールスをあげ、特にここ日本での人気は異常で、後々2001年にはリユニオン来日も果たすほどだった。もっとも本国では、いちローカルバンドにすぎなかったというのは信じがたいが。

活動面に於いて往年の彼らは、ギターのJonathan DonaisがSHADOWS FALLに専念するために脱退したことをはじめ、他のメンバーも流動的で困難を極めたようだ。
1999年の2nd"through the looking glass"は、Jonathanの後任にJoel Strotzelが加わり、Devils Head Records/Goodlife Recordingsからそれぞれリリースされた。

2000年、ラスト音源になった"five steps from forever"は解散後のもので、STATE CRAFTとのスプリットに収録された曲を含む全5曲。
しかし、日本では解散しても尚AFTeRSHOCK熱は冷めず、ディスコグラフィ"propaganda"がImperium Recordingsよりリリースされ、リユニオン来日へ沸々と動き出した。


AFTeRSHOCK reunion & farewell Japan tour


AFTeRSHOCK - "for those of you who kill"






1995年、AFTeRSHOCKのJonathan DonaisはMatthew Bachandと動きだし、翌年にはラインナップを固めSHADOWS FALLとしてデモをリリースする。

1997年にDamien McPhersonが脱退しPhilip Labonteが後任ボーカルに、ベースにはex PUSHBUTTON WAREFAREのPaul Romankoが加入し再編成された。
そしてEllington Recordsから7ep"to ashes"、続いて1st"somber eyes to the sky"はギターのMatthew Bachandが運営するLifeless Recordsからリリース。この頃には、Roadrunner Recordsに所属するようなバンドのツアーアクトを務めるまでに躍進している。
しかし1998年Philip Labonteが脱退、ALL THAT REMAINSへと活動を移す。
後任は既述したようにOVERCASTのBrian Fairが務めることになるが、その勢いは衰えず2000年にはCentury Media Recordsへ移籍し、2nd"of one blood"をリリースした。

彼らを筆頭にマサチューセッツにはビッグネームが多く、そのほとんどが長期ツアーに出掛けるため、地元に主要バンドがいないというドーナツ化現象が起こり、この異常ともいうべき事態NWOAHM(new wave of American heavy metal)ムーブメントは、まさにここから広がっていった。


SHADOWS FALL - "thoughts without words"
 





dhr #01とクレジットされているのが、1997年にレコーディングされたGANDIVAの7ep。この土地では希少なemo metal的で、おそらく解散後のリリースと思われる。

同年Nicholas Heigelmannは、GANDIVAの後身としてTHE YEAR OF OUR LOADを始動させる。
black/death metalを基調としたサウンドは、同郷のSEVENDAY CURSEや、PRAYER FOR CLEANSING、初期SUNRISEといった輩同等。"the frozen divide"がドイツのLifeforce Recordsから出ているし、一聴マサチューセッツのバンドとは想像もつかない。

最後に、THE YEAR OF OUR LOADのメンバーAndy KyteがやっていたBARRIT。当時のレビューでvein of GROUNDWORK、OVERCASTと書かれていたけど、どちらかというとTHE YEAR OF OUR LOAD寄り。

Andyがどれだけ作曲に携わったかわからないが、THE YEAR OF OUR LOAD加入は必然的だったのだろう。

 

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